山香料理処 竹取物語
佐賀県鳥栖市立石町について山香料理処 竹取物語
立石
立石町について 立石町の歴史 水車の街 立石町の昔話

御手洗の滝
※御手洗の滝
立石町について
 
佐賀県鳥栖市立石町とは...
佐賀県東部、背振山の東の端、九千部山南麓に位置する静かな山あいの町。
町を流れる沼川(ぬまがわ)の上流には、かつて修験場として使われたという御手洗の滝(おちょうずのたき)が流れる。
記録によれば、室町時代の末に立石の地を訪れた僧が、その滝の美しさと山の清らかさに感じ入って、ここに草庵をつくったといわれる。
御手洗の滝(おちょうずのたき)
立石町を流れる河川・沼川の上流に位置する御手洗の滝は、英彦山(ひこさん)山伏の修験場になったと言われており、その独特の名前は、その時に彼らが立ち寄り手を洗い身を清めたことに由来しています。
滝のほとりの断崖には如意輪観音、大日如来、不動明王が祀られ、当時霊場であった名残を残しつつ、今では鳥栖市の観光名所として知られています。

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立石町の歴史 水車の街 立石町を流れる清流
※立石町を流れる清流

水車小屋の歯車
※「竹取物語」の庭に置かれた水車小屋の歯車。当時の雰囲気をしのばせます。

立石 4番目 の水車
※立石"4番目"の水車。昭和30年頃まで動いていました。写真出典「ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和鳥栖」(篠原真編)


「水郷・立石」
立石町を流れる沼川は比較的水量の豊富な河川です。
そのためかつての立石町には、沼川を利用した水車業(製粉業)が発展していました。


「水車と製粉」
現在のように電気が動力源の主流となる前、水車は動力源として非常に重要な役割を担っていました。
生活に必要な米や粉は、水車を使って精米されたり製粉されたりしていたからです。

江戸時代の立石には、佐賀領で最も多い13軒の水車がありました。

そして明治の時代になると、立石の住人はもちろんのこと、北茂安や三根からも人が訪れ立石の水車を利用するようになります。

このような背景から、次第に水車の利用と引き換えに手数料収入を得るという形で水車を使った「製粉業」が成立し始めたのです。


「水車製粉業」
水車の利用と引き換えに手数料を得る「水車製粉業」が成立し始めたのがいつ頃なのかは詳しくは分かっていませんが、少なくとも明治前中期から大正初期にはこれによってかなりの収入を得ていたことが記録されています。

水車は人々の生活を彩り、立石町は「水車の街」としての賑わいを見せるようになります。

しかし、年代が進むとともに製粉業の電化が進み、次第に製粉に水車が使われることはなくなっていきます。

実際このような水車製粉業が営まれていたのも大正時代の頃までで、水車自体も昭和40年代初頭には姿を消し、残念ながら現在ではその痕跡を残しているのみです。


「水車の呼び名」
立石町には下流から数えて「一番目」から「十三番目」までの水車があり、それぞれ「いちばんめ」「じゅうさんばんめ」といった呼び名で呼ばれ親しまれてきました。

現在水車そのものは残っていませんが、水車がなくなった今でもその呼び名だけは残っています。

なお、当店「竹取物語」は「九番目」の水車小屋があった場所に建っています。
庭には当時の水車に使われていた歯車を見ることが出来ますので、「くばんめ」の名残を味わってみてはいかがでしょうか。

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立石町の昔話 鬼の爪跡石 金の水

立石町にはいくつかの伝説めいた昔話が残されています。
ここでは「鬼の爪跡石」と「金の水」という二つのお話をご紹介いたします。

 鬼の爪跡石伝説 
鬼の爪跡石
※立石町に残る鬼の爪跡石。もしこの石があと少し小さかったら、立石町にはまだ鬼が住んでいたのかもしれません。
  むかしむかし、立石村の石谷山には、力自慢の赤鬼が住んでいました。
怪力にものをいわせる赤鬼は、川の流れをせき止めたり山桃を引き抜いたりと悪さをしては村人を困らせていたといいます。

そこである日、考えた村人達は赤鬼に提案をもちかけました。

「お前は力自慢だそうだが、ならばこの大石を持ち上げることは出来るか?」
「ふん、わしにかかれば簡単なことだ」
「では、持ち上げることが出来なければ石谷山を立ち去れ」

こうしてついに赤鬼は、村人が見守る中大石を持ち上げることになったのです。しかし、いくら赤鬼が力を入れても、石は根を張ったようにピクリとも動きません。ムキになった赤鬼はさらに顔を赤くして力を入れましたが、石に爪が食い込むばかりで、結局石を持ち上げることはできませんでした。

その結果、赤鬼は約束どおり石谷山を去ることになり、ついに村人には平和が訪れたのです。

この時、村人を救った大きな石は、鬼の爪跡を残したまま、いまも立石町に残っています。


 金の水伝説
金の水
※金の水から見た立石町の景観。立石町の山手にあった金の水ですが、現在では土砂に埋もれてしまっており残念ながら汲むことは出来ません。
  むかしむかし、立石町の山里の奥深くに一人の老いた父親とその息子が住んでいました。

父は歳をとるにつれ病気がちとなり、孝行者の一人息子は、病によく効くという薬草を探して毎日山を歩いていました。

ある日、いつものように薬草を探していた息子は小さな池にたどり着きました。歩き疲れた息子は、そのほとりに身体を横たえ、うつらうつらと居眠りをしてしまいます。

すると驚いたことに、息子の夢の中に金色にまばゆい観音様が現われ、こう告げたのです。

「この池の水を飲ませれば、お前が探している薬草よりも勝る効き目があるであろう」

驚いて飛び起きた息子は、池の水を汲み喜び勇んで父の元へ帰っていきました。

その日より父の病気はみるみる回復していきついには長寿を全うすることが出来たといいます。

それから誰ともなくその池のことを「金の水」と呼ぶようになりました。